
コンピュータが十分に発達した現代において「複製」とはなんだろうか?
アート史を遡ると、作品には作者や年代、制作地域などが記載され、それらがオリジナルとしての一回性を担保してきた。このような作品は、場所や人、時空間によって生まれる一回性から「アウラ」が働き、人々に畏怖や崇高の念を抱くものとして知られてきた。
写真の誕生ともいえるヘリオグラフィーが発明されて約200年が経つ。複製技術の代表ともいえる写真が、芸術表現として認められるようになると、銅版画のエディションナンバーを記載する伝統は続けられ、現代芸術にはなくてはならない作法となっている。各エディションに限定性を持たせることで、作品の一回性と特別な価値を保ってきた。しかし、絵画の時代のアウラと比べると凋落していると言われている。
一方で、近年、アート作品は非物質的なものとして存在するものも多い。このようなデジタルアートは、物質的な作品に記載するエディションや作品証明書の代わりに、NFT(非代替トークン)という技術によって、デジタル作品の所有権と一回性を確立している。また、生成AIは言語とプログラムとシード値によって、同じ生成物を出力できる。生成物は一回性があるものではなく、再現性のあるものとして存在する。このような形の場合、アウラはどのように働くのだろうか。
この「アウラと複製」を巡る議論は、技術的にも文化・芸術的にも重要な批評性を持つと我々は考えている。
ここで我々が着目したのは、ケミカルプロセスによる湿板写真作品と、デジタルファブリケーション技術などを用いて湿板写真を再現した写真作品のアウラに関する議論である。写真ネイティブであるベンヤミンは、写真によってアウラが消失したと言ったが、ベンヤミン以前にあった写真は、そもそも写真を撮っても一回として同じように印刷できなかった。彼も「写真小史」でそれを認めている。しかし、現代において写真は同じように印刷できる。生成AIも同様である。では、現代の複製できる写真にアウラを存在させるにはどうしたら良いのか?この時代に、湿板写真のようなランダム性や不確実性をもたらす写真技術と、生成AIに見られるような再現技術を用いて写真とアウラを再考することは、デジタルアートコミュニティにおいて本質的な「オリジナルとは何か」という問いに対して新しい文化的な批評性をもたらすと考えた。
本論文は以下の貢献を含む。
- 超複製技術時代と呼ぶ2024年現在の、グラフィックスコミュニティにおける写真技術とアウラに関する考察
- “Non-Reproducible Generative Collodion”と命名した、デジタルファブリケーション技術とブロックチェーン技術による湿板写真風写真作品の制作手法の提案
- ユーザーが抱いた湿板写真および”Non-Reproducible Generative Collodion”におけるアウラに関する知見と考察およびその批評
これらの探索を通じて、現在のデジタルアートコミュニティにおける複製技術の代表である写真とアウラの関係を批評し、それにより、アウラというキーワードを介して写真の今昔物語を接続させ、写真の本質に迫る新たな写真の歴史の始まりとしたい。
プロジェクトメンバー|小澤 知夏、皆川 達也、落合 陽一
本プロジェクトに関する問い合わせ先|小澤 知夏 toremolo72<-at->digitalnature.slis.tsukuba.ac.jp ※<-at->を@に置き換えてください

